Mayu’s blog

どこにでもいる平凡な20代女のつぶやき

ピアノの体験レッスンで心が満たされた

ブログ書くの久しぶりになってしまいました。

子供の頃習っていたピアノ、ここ2、3年ひとりでたまに弾いていましたが、先週からピアノの先生に習うことになりました。
きっかけはやっぱり、何もない毎日に耐えられなくなって…。
友達もいないし実家とも疎遠で、今の仕事も別に好きではないので、夫に依存する生活でした。
そんな生活を変えたくて、はて、何ができるだろう、と考えたところ、ピアノならちょっとはできるし本格的にやってみようかな、という流れでした。

で、近所のピアノ教室をネットでリサーチ。すでに満員で生徒を募集していないところもあったけど、それらを除いて3つの教室がヒットしました。
というわけで1週間で3つの体験レッスンに全て行きました。
ひとつ目の教室は最寄駅の駅チカで、オーストリアから帰国後もう何十年も教えてらっしゃる大ベテランの先生。教室にはグランドピアノ2つとアップライトピアノ2つがありました。
これといって弾ける曲がないのでとりあえずエリーゼのためにをみていただいて、教室の紹介をしていただいて、先生のピアノを聴かせていただきました。先生はウィーンに8年間住んでらしたということ。外国暮らしが長い方は、私にとってはやはり話しやすいです。私は話しが下手なので内容を大事にしてくださる方、伝えようとしていることに真剣に耳を傾けてくださる方は助かります。とても居心地が良いなと感じました。もうほぼここの教室でいいなと思っていました。
ふたつ目の教室は少し遠くて、家から自転車で25分くらいかかりました。バスでも行けるんだけど…。
若い先生でこの方もウィーンで勉強されてたとのこと。最初おしゃべりでかなり時間が過ぎてしまいましたがそれはそれで良い時間でした。
で、おなじくエリーゼのためにをみていただいたのですが2時間みっっちりレッスン!本当は体験レッスンは1時間のはずなんですが時間も忘れてがっつり教えていただきました。
曲にぐっと気持ちが入りました。そして、自然の力を尊重して弾くことを教わりました。いちいち全ての音符を弾こうとしなくてもいいということ、大事なのはバランス、そして自然に身を任せればそういったことがすっとできるようになる。
「頭で考えすぎ」と何度か言われました。自然なことをしていれば気持ちがいいし、なにか間違っていることをしていれば気持ちが悪い、そういう自分の気持ちを大事にして、とアドバイスをいただきました。
この2時間は本っ当に濃い時間でした。久しぶりに心が満たされた気持ちがしました。この体験によって、ピアノ、絶対にやりたい、という確信を持ってしまいました。
そして3件目ですが、これはちょっと違いましたね。全国展開のピアノ教室で、最寄駅のすぐ近くにある教室でした。
音楽についてあまり詳しくないのでなんと表現したらいいかわからないんですが、ここはこの指を使ったらいいとかここはピアニッシモだとかそういう話ばかりで。どんな感情を込めたら素敵に弾けるかとかそういう話が全くなかったです。正直つまらなかったですね…。
ということで、私は最初に行った教室の先生を選ばせていただきました。月謝が他より高いので2つ目の教室と少し迷ったのですが、家から近いのと、他の楽器のレッスンをつまんで習うこともできること、それから先生の人柄で決めました。
これからのピアノ生活が楽しみです。

今日の日記

13時に起きる。大豆シリアルとみかんを食べる。猫トイレの掃除をする。リコがカーテンに付けたうんちの処理。どうやらお尻にうんちを付けて回るタイプらしい。人間の衣類の洗濯。

そういえば、お仕事が決まりました。もう無職じゃないよ。これで少しは生活が楽になるはず。経済的に。


小説が書きたい小説が書きたい。1本書き上げることができれば、この衝動も収まるはず。その時間がなかなか取れない。今はスマホにダウンロードしたWordでちょこちょこと書いている。それでも心が落ち着くけど、もっとまとまった時間でうわっと書きたいなぁ。

今日の読書

今日の読書

沼田真佑「影裏」

誰にも思い出されることのない人の死が、書かれている。震災で数多くの人が亡くなったが、「影裏」に出てくる日浅のような人物は、主人公がいなかったら、誰にもその行方を案じられることがない。父親に勘当され、恋人も近しい友人もいない。捜索願いも出されないので行方不明者としてもカウントされないのだろう。そんな人がどれくらいいたのだろう。光の当たらない、まさにタイトルの通り影の部分から見た震災の記憶。

滝口悠生「高架線」を読んだ

  一棟のボロアパート。同じ部屋に別々の時期に住んでいた男性たちを取り巻く物語。「群像」2017年3月号掲載のものを読んだ。

  登場人物4〜5人が、証言のような形で自分の人生や他の住人について語っていく。それぞれ「七見歩です」などと冒頭で自己紹介をし語り始めるのが特徴的。ということで「証言」と表現した。

  一見正体不明で少しあやしかった最後の証言者「日暮」は、アパートの大家である老夫婦の妻が前の夫との間に産んだ子どもであった。産まれて間もなく、別の夫妻に養子として引き取られた。彼はこのアパートの当時の住人であった別の証言者、「茶太郎」から話を聞いている。が、茶太郎に大家との関係は明かさない。

  どうしようということもなく、ただただ茶太郎の話を聞く日暮。失恋の話や、隣人の男性に紹介されて観た映画のあらすじ。自身も産まれて少しの間育ったあの部屋で、その後あらゆる人が住み、それぞれの人生があった。

  最後に産みの母である大家の妻と会話をするシーンがある。ぼろアパートが取り壊される日だ。といっても、どのような会話をしたのか読者にはわからない。また別の証言者である日暮の妻からの視点でそのシーンは語られる。

  同じアパートの同じ部屋に住んでいた人々の人生が少しづつ重なり、ゆるくつながっている。とりとめのない話の中にも重要な要素が含まれている。事実、茶太郎の隣人とは大家の息子、日暮の兄であった。

  一言で表現すると、穏やかな小説だった。

もうすぐ1年

もう年末ですね。去年の12月から夫と二人暮らしを始めたので、あれからもう約1年。早いね。夫のおかげで少し自分の殻を破れたような気がします。これからも、2人で外の世界と関わっていきたい。